ジャニー喜多川さんは、言うまでもなく日本を代表する芸能事務所ジャニーズ事務所の社長です。
また、天才プロデューサーとして長い間活躍してきました。
しかし、なかなか表舞台に出てくることはなく、顔やプライベートはあまり知られていません。
そんなジャニー喜多川さんの若い頃の顔はとてもイケメンだったようです。
アメリカ生まれで、ジャニーという名前と顔からしてハーフともいわれています。
そして、ジャニー喜多川さんの家系図を見ると、スゴクてビックリ。
なんと、偉い僧侶もいるのです。
とても立派な僧侶だったようです。
どんな家系図だったのでしょうか。
そして、現在いったいいくつになるのか年齢もよくわかりません。
年齢や生い立ちも気になりますね。
謎の多いジャニー喜多川さんの若い頃や家系図、年齢、生い立ちについて調べてみました。
ジャニー喜多川さんの若い頃の顔!
ジャニー喜多川さんは、多くの美少年たちを育成してきました。
自身も若い頃からイケメンだったようですね。
若い頃の顔写真をみてもけっこうなハンサムです。
そんなジャニー喜多川さんを今でもハーフだと思っている人が多いのです。
ところがハーフではないのですね、どういうことでしょうか。
ジャニー喜多川さんの家系図に僧侶も?
家系図を見ても両親は日本人なので、まったくの日本人です。
本名は、喜多川擴(きたがわひろむ)です。
英語名はジョン・ヒロム・キタガワといいます。
ジャニーというのはジョンの愛称でした。
家系図の姉の康子さんは、メリー喜多川さんになります。
兄の真一さん、そして、ジャニー喜多川さんの3人兄弟になります。
また家系図によると、父親は喜多川諦道さんという高野山真言宗の僧侶でした。
それも米国別院の僧侶をつとめたえらい方だったようです。
また、僧侶ながら、なんと現地のプロ野球チームのマネージャーもつとめていたそうです。
そのほか、兄真一さんは、アメリカでエンジニアになり、人類初の宇宙船アポロの設計に関わってきたようです。
きっと優秀だったのでしょう。
残念ながら、兄はすでに亡くなられています。
また、メリー喜多川さんの旦那は、作家の藤島泰輔さんでした。
藤島泰輔さんの家系は、父親が日本銀行の監事、祖父が日本郵船の専務と立派な家系図でした。
さらに、藤島泰輔さん自身は、学習院出身で上皇のご学友という由緒正しい家柄でした。
ジャニー(喜多川)さんの一族は、実はすごい家系図だったことがわかりましたね。
ジャニー喜多川さん年齢や生い立ち
ジャニー(喜多川)さんの年齢や生い立ちはどのようなものだったのでしょうか。
生い立ちがジャニーズ事務所の設立と大きく関係ありそうです。
ジャニー(喜多川)さんは、現在87歳になりました。
父親の仕事の関係で1931年にアメリカのロサンゼルスで生まれています。
しかし、1933年2歳のときに日本に帰国します。第二次世界大戦がはじまったからです。日本では、大阪府で生活されたようです。
母親は大阪で亡くなり、僧侶だった父親は、亡くなられています。
戦中は、二重国籍だったため、日本では苦労されたのではないでしょうか。
そして、終戦後の1947年に兄弟だけでロサンゼルスに戻り、高校と大学に進学されています。
また、ジャニー(喜多川)さんは学校に通いながら、ロサンゼルスの劇場で働いていたそうです。
日本の歌手の美空ひばりさんのロサンゼルス公演のマネージメントも手がけたことがあったそうです。
まだジャニー(喜多川)さんは年齢20代の頃ですよね。
この経験が後に、ジャニーズ事務所の設立につながったのかもしれません。
そして、1952年には朝鮮戦争がおこり、徴兵されて任務についていました。
アメリカ軍の通訳助手をつとめていたそうです。
ジャニー(喜多川)さんの生い立ちを見るとは、若い頃教育はアメリカで受けました。
米軍関係の仕事をしていたため、感覚はアメリカ人に近いのかもしれませんね。
タレントたちをユーと呼ぶのも納得です。
その後、1955年ごろ日本に再び戻ると、上智大学国際部に入学をしました。
また、大学時代にはジャニー(喜多川)さん自身もバンドを結成して、日本の芸能界で活動するようになっていました。
アメリカ軍の仕事もしていましたが、1962年から本格的に芸能事務所をはじめました。
ジャニー(喜多川)さんは年齢が30歳くらいのときです。
当時の日本には、アメリカの音楽や映画が多く入ってきたころです。
英語と日本語が堪能で文化に詳しいジャニー(喜多川)さんのような人は、貴重でしたね。
ジャニーズ事務所は、渋谷区代々木にあったアメリカ軍向けのアパートの1室からはじまりました。
そこで始めた少年4人の野球チームが、ジャニーズのはじめだったようですね。
ジャニーズはジャニー(喜多川)さんがタレントをスカウトし、育成してきました。
また、舞台やショーの演出も担当してきました。
姉のメリー喜多川さんは、経営やタレントのマメージメントを担当してきました。
兄弟で役割分担しながら1代で大企業まで成長させてきたのです。
現在では、多くのタレントをかかえ、港区赤坂に大きなビルの会社になりましたね。
謎の多かったジャニー(喜多川)さん。
生い立ちを見ると、戦中、戦後の日本とアメリカの間でずいぶんと苦労もされたことでしょう。
以上、多くのすばらしいタレントたちを育て上げてきた、ジャニー(喜多川)さんについてまとめてみました。